4-JUN-1991
史上最強の食い物エッセイ、嵐山光三郎の「素人包丁」に カレーの話がある。タイトルは「カレー風呂」である。 食い物の話というのは、書き手の/話し手のボキャブラリのみならず、 教養と人格がそのまま表れてくるものなのである。 知識と感性を総動員しなくてはならないものなのである。恐るべき分野である。 食い物といえば味の話がメインとなるわけだが、さてこの味とはいったい なんであるかを広辞苑をひもとき調べてみれば、 味覚というのは、味覚器官に科学物質が刺激となって生ずる感覚。 齒咸(*)、酸、甘、苦の基礎感覚にわけられ、 これらが融合して種々の味や旨みが感じられるんだそうである。 閑話休題。 「カレー風呂」というタイトルからしてすごいではないか。 いったいどんなものなんだ、と期待して1項目を読み始めれば、 書き出しが、
---------引用----- という具合である。 さらに、子供の頃母親のつくるカレーを途中で小皿に入れたのを味見させてもらう ときの気持や、友人が自分で調味料を三十数種類調合して作ったカレーがなぜ まずいか。(当人の努力をおもんぱかって、はっきりまずいといえないが、 やっぱり僕もまずいと思う。)とか、カレーは南国の泥である、と言い切ったり、 まさに痛快エッセイである。本当のプロの文章である。 さて、最後にカレー風呂が出て来るのだが、それは読んでのおたのしみ。 「齒咸」(*):これで一つの字。 この字はなんと読むか。広辞苑は振り仮名もふってくれない。JISにもない。 図書室の漢和辞典を引いたが載っていない。 大漢和全巻を日本語VMSチームが持っているという話を聞いて 4階に調べにいった。さすが大漢和。この字は “カン” と読むそうである。 意味は「かむこと」である。 おおそうか。と思って、いったん2階に引き返したのだが、 この漢字のつくりである “咸” の意味はいったいなんだと気になり、 気になると止まらない。再び4階に上がって調べることにした。 戈という部首のところを引いたがのっていない。なんでだ。 DEC漢字コード表では戈のところに載っているのに。 “咸” の部首は戈じゃないのか。画数で引こうとしたが、9畫の字は多い。 あてにしている戈のところにない字なので、全部の字をナメなければならない。 僕は“咸”の読み方を知らないので訓読みで引けないのである。 といって、音読みのカンでは該当する字が9畫の字よりも多い。 大漢和の近所の高田さんがワープロのための漢和辞典というような本を 持っていたので見せてもらった。やっぱり戈のところに載っていた。 読み方はと見ると“あまねし”だそうだ。“みな”とも読む。 “みな”なら仮名漢字変換で咸になる。 再び大漢和に戻って調べると、咸の部首は口だった。 口でしてあげる、の口である。 口と戉(えつ)という字からなっている字なんだそうだ。 じゃなんでDEC漢字コード表には戈のところにあるんだ。 DEC漢字コード表は日本企画協会発行のJISX0208-1983情報交換用漢字符号系の 資料を転載したものである。 ちなみに角川の大字源(綴?)でも“咸”は“口”のところに分類されていた。 で、咸は、口と、おどし動かすという意味の戉とからなって、大昔に神様にささげも のをしたあと、大声で神様を呼ぶことを表わしたんだそうだ。 そっからなんで“みな”の意味になるのかはわからないが、辞書によれば、 転じてそうなったんだそうだ。 どこがどう転じると、神様を呼ぶのと“みな”というのが関連するんだ。ちょっとスキを見せるとすぐに転じるから困ったものだ。 まあとにかく、咸は、“みな”とか“ことごとく”、“あまねく”といった意味がメイン で、真ん中より後ろのほうに“かんじる”という意味が載っていた。 ここまできてやっと齒咸という字の意味が見えてきた。 歯で感じるってことは、歯ごたえってことだなこりゃ。 すると、広辞苑は味覚を、甘さ、酸っぱさ、苦さ、歯ごたえ、 って言いたいんだな、というのがやっとわかった。 ところが、 ある人にご指摘いただき、これが大きな勘違いであることが判明した。
>齒でなくて鹵ではないだろうか? なるほど。早速調べてみた。 鹹は大漢和に、しほみ、しほけ、と書かれていた。 にがいという意味もあるようだった。 “しほけ”というは、発音すると“しおけ”のことである。 意味は鹽(塩)からい味ということだそうだ。 これを漢字で書くと“鹽(塩)気”または“鹹気”ということになって、 つまり、塩辛い味のことあった。 ついでに広辞苑で“しおけ”をひいてみたら、【塩気、鹹気】となっていた。 そうなんだよな、味覚に歯ごたえが含まれるってのは なんかおかしいと思ったんだよな。「味」覚だもんね。でも、なんとなく説得力もあったんだよな。 |