92年11月10日に書いた話。
昨夜は南極観測船「しらせ」に泊まった。「しらせ」は実は南極観測船ではなく、 砕氷艦というらしい。「しらせ」の所属は海上自衛隊である。 今朝は「しらせ」から出勤した。
昨日、俺が時々乗っているレース艇のクルーの一人が南極に行くことになった。 その壮行会が新橋で開催された。 南極に行くのは浦宏行さんという人だ。 浦さんは第34次越冬隊の発電機回りのメンテナンス及び新基地建設の要員として 南極に行く。今週の土曜日に「しらせ」に乗って南極に向かう。 なぜ浦さんが越冬隊のメンバーになったかというと、 昭和基地の発電機はヤンマー製で彼はヤンマーの社員なのだ。 彼はヤンマーから越冬隊に出向するわけだ。 壮行会はヨットと海と船と南極の話で盛り上がった。 21:30くらいにお開きになった。なんとなくみんなと駅まで歩いていく。 このままみんな帰ってしまうみたいだ。 俺はもうすこし呑みたい気分だったので、 浦さんと二人で銀座の「クール」に行くことにした。 クールのカウンタでカクテルを2杯づつ飲んだ。 ヨットの話と南極の話をする。楽しい。浦さんと会うのは2度目なのだが、なんだか 旧来の友達のような感じがする。 23:00にクールを出て、小腹がすいてきたので近くの「たこ八」で明石焼きを喰った。 さあ、そろそろ終電の心配をしなきゃならない。 そんなときに浦さんが「しらせに泊まりますか?」と言った。俺はわが耳を疑った。 わが生涯にそのような瞬間があろうとは夢にも思っていなかった。 俺は常々南極に行きたい、行きたいと思っているのだ。南極にかかわる乗物に乗れるチャンスを断るはずながない。 さっそく我々はタクシーをつかまえて晴海埠頭へ行った。 霧のような小雨が降っていた。タクシーを降り、倉庫の間を通って岸壁へと歩く。 倉庫の陰から「しらせ」がその姿を表わした。 暗がりのなかでオレンジ色の船体が鈍く浮き上がって見えた。 船のところどころに常夜燈が灯されていた。 風は全くない。しらせに沿って岸壁を歩いてみる。 しらせの全長は約130mである。 でも俺にはそのサイズが大きいんだかそれほどでもないのか判らなかった。 船首ごしに対岸のビルの明かりが小雨にけむって見えた。海面には波一つない。 浦さんに促されてしらせに乗り込む。舷門では自衛官が番をしている。 自衛官にあいさつしてから、訪問者用のノートに自分の名前と面会者の名前、時刻 を記入する。浦さんはバッジを見せるだけだ。 浦さんの後について艦内を歩く。艦内の細い廊下が部外者には迷路のように思える。 浦さんの部屋に着いた。部屋は艦の後ろのほうにあった。 7畳くらいの細長い部屋だ。観測隊員用の部屋は2人部屋になっていた。 部屋に入ってすぐ左手にソファーがあり、 右手に小型の洋服ダンス大のロッカーが二つ並んでいる。 そのとなりに琺瑯(ほうろう)の洗面台と鏡があって、鏡の裏が歯ブラシや髭剃りを 入れておけるようなちょっとした物入れになっている。 ソファーの隣にライティングビューローが二つ並んで置かれている。 その奥に二段ベッドがある。ベッドの幅は80cmくらい。 部屋には2人ぶんの私物が入ったダンボールが積まれてあった。艦内に持ち込める私 物は一人200Kgまでだそうだ。私物は今日持ち込んだそうだ。ダンボール箱の横にペ ンギンの絵が印刷されていた。なんだか妙に納得した。 浦さんに艦内を案内してもらう。 艦の後方にテニスコート2面ぶんくらいの飛行甲板がある。 飛行甲板には畳3枚ぶん[1]くらいの大きさのエレベータがある。 エレベータといっても舞台のせりのようなものである。 [1]:広さを表現するのに畳の枚数でしか表現できないのか俺は。 飛行甲板に接して格納庫がある。 輸送用の大型のヘリが2機と偵察用の小型のヘリがあった。 その3機で格納庫はほぼ一杯である。格納庫の上にヘリの発着艦を管制する構造物が ある。それほど大きくはない。 次にブリッジ(艦橋)を案内してもらった。 ブリッジは舷側から舷側まで横一杯の大きさである。だいたい30mくらい。 右側の艦長の椅子と左側の副長(?)の椅子がだいぶ離れているのが印象的だった。 ブリッジの中央に舵輪がある。舵輪は小さい。 舵輪の脇に機関をコントロールするパネルとオートパイロット用のパネル。その隣に レーダーがあった。後ろの方にチャートルームの小部屋があった。 ブリッジを出て、梯子を登りブリッジの上の甲板に出た。その甲板の後ろの方にマス トが立っている。マストの上方には小部屋が取り付けられていて、そこからも操舵で きるようになっている。氷海ではなるべく遠くを見渡せるように高い所から操船する のだろうと思う。 梯子を降り、ブリッジから前部甲板に出た。前部甲板の下は貨物倉になっていて雪上 車などが入っているそうだ。何台入っているかは聞き忘れた。 再び艦の後ろのほうに回って観測隊食堂へ行った。 冷蔵庫から勝手にジュースを取り出して飲む。この艦ではそういうものらしい。 食堂は観測隊用、科員用[2]、士官用と別れている。観測隊用の食堂は200席あった。 第34次越冬帯のメンバーは40名である。越冬しない夏だけの観測隊員が20名い る。足しても60名だから食堂の広さは充分だ。 [2]:科員というのは一般の水兵のことらしい。 科員の寝室は6人から8人部屋になっている。 士官と観測隊は2人部屋。艦長と隊長は個室。 浦さんの部屋に戻って銀座の「たこ八」でお土産用に包んでもらった明石焼きを食べてから2段ベッドの上の段で寝た。 観測隊は科学者ばかりではなく、浦さんのようなエンジニアも何人かいる。 俺の実家の近所に住んでいた幼なじみも第34次越冬隊の通信技術者として 南極に行く。 他にはヘリと軽飛行機のパイロットと整備士。料理人。ドクター。建設技術者などが 観測隊のメンバーに連なっている。 観測隊のメンバーは性格的な面でも選抜される。酒の呑み方もチェックされたらし い。実際に34次越冬隊候補のうち酒癖が悪くて落とされた人もいたそうだ。 南極は寒いので風邪をひくかというと、南極では風邪のウイルスも生きられないので 風邪はひかないんだそうだ。 南極観測というと極点探険というのが連想されるが、極点にはめったに行かないんだ そうだ。極点にはアメリカの基地があって、情報はそこからもらうんだそうだ。 そこの観測によると、極点というのは不定期に移動しているんだそうだ。地軸が揺れ ているということだろうか。 日本では昭和基地から内陸に1,000Km奥に行った所に新しい基地を建設中だそうだ。 今年で建設2年目。3年後に完成する予定。 浦さんは喫煙者なので煙草をもっていく。免税価格で買うから安いがそれでも500箱 くらいもって行くそうだから、煙草代が約50,000円だ。 最近では、フリーズドライの技術が進んでいるので、越冬隊の食事は生鮮食料品的なものも食べられるんだそうだ。卵は黄身と白身にわけてフリーズドライになっているらしい。メニューは800種類くらいあるそうなので、ほとんど毎日毎食違ったものが食べられ る。 越冬隊の初期のころは犬を連れていったが、現在は南極に動物を持ち込むことはしないそうだ。南極の生態系と固有種の保存のためだそうだ。 まだ犬を連れて越冬していたころ、 ブリザードの中、犬に餌を与えるために 基地の母屋から10メートルくらい離れた犬小屋に隊員の一人が行った。 その隊員はそのまま行方不明になった。 基地から遠くはなれた場所で5年後に死体となって発見された。 ブリザードの中で方向感覚を失い、基地に戻れなくなったのではないかという話だ。 本当のことは判らない。 それ以外にも隊員の遭難事故というのはいままでに何件かおきているらしい。 朝6:30に艦内放送があって、それで起きてしまった。 そういうところはなんというか自衛艦だ。
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