910730 回航の話は尽きぬが、 夜も更けてきたので俺はテント[1]を張ることにした。 [1]:なぜだか急にテントで寝てみたくなったので、会社の近所の釣具店で 買ってきたものだ。一人用で1,980 円也。 当初は砂浜に張ろうかと思っていた。しかし、台風の影響で波が高く、 砂浜に張るのは身の危険を感じたので、ヨットの置き場に張ることにした。 置き場の地面はアスファルトなので、ダンボールを敷いてから テントを張ることにした。ダンボールを使うあたりは レゲエのおっさんと同じセンスである。 夜のテント張り作業にはテントと一緒に買ったランタンが活躍した。 これはガスのランタンなのだが結構明るくて重宝した。これを燈すと あたりの雰囲気は急速にアウトドアライフっぽくなる。 このランタンの難点は熱を持つのでテントの中に持ち込めないことだ。 寝袋と枕用のライフジャケットをテントの中に持ち込んだ。 もぞもそしながら寝袋に収まり、目を閉じたあたりでポツポツと テントの屋根に雨粒のあたる音がしてきた。 風もあがってきた。 目を開けるとテントの内側の小宇宙とも呼べる空間がハタハタとはためく。 俺の宇宙の外側ではたいへんなことが起こっているような気がする。 俺の視線が届く距離はテントの中だけである。聴覚が異常に鋭くなる。 外から音が聞こえる。中にはなんの音かわからないものもある。 怖い。 たぶん置き場に置いてあるヨットに付属している備品が風で 聞き慣れない音を出しているんだろうと思う。 そう思い込む。 雨も強くなりだした。俺の宇宙の外側は大嵐のようだ。 宇宙の内側は蒸している。 外は雨が降っているので出入り口を開けて蚊帳だけにして 風を入れることもできない。寝袋に入れた足がじっとりとしてきた。 たまらん。寝袋から出る。 無理にでも眠ろうと目を閉じる。波の音がうるさい。雨音がうるさい。 風がうるさい。蒸し暑い。枕に使っているライフジャケットが海臭い。 眠れない。 寝返りを打ったら、手がなにか水溜りに触れた。世界の終わりだ。 わが家は床上浸水だ。眼鏡をとりだし、わが家の被害状況を確認。 水溜りは手の平の半分くらいだった。出入り口が少し開いていたのでので そこから雨漏りしたようだ。出入り口をしっかり閉じた。 これで世界はまだ持ち堪えるだろう。 それにしても眠れない。 こういうときの敵は、自分の想像力である。悪い方向へ悪い方向へと 想像がたくましくなって、やがて自我を押しつぶしてしまう。 自制がきかなくなるのは、想像力に負けたときである。 いつでも逃げ出せるようなところにテントを張って、 自分の想像力に負けるわけにはいかない。 俺はいずれ単独で南極航海をしたいと思っているのである。 思うのは勝手である。 南緯40度。吼える40度線(roaringfourty)。 その南にある船乗りにとってのエベレスト、ケープホーン。 そして更にその南、叫ぶ60度線(cryingsixty)。 南緯60度に横たわる荒れるドレーク海峡。 ドレーク海峡を渡るとそこは南極大陸。あこがれの南極。 ドレーク海峡と野比を一緒にしては、 横綱と素人が相撲をするようなものである。 話にならん。 あいかわらず波は高いようで波の音がうるさい。 潮騒なんてロマンチックなものではない。 雨は小降りになってきた。心無しかすこし眠くなってきた。 この睡魔のしっぽをつかまえて眠りに落ち込まなければ。 俺は一体なんでこんなことをしているんだろう。 つかまえかけた睡魔になんどか逃げられつつも、 なんとか眠りにつけた。 翌朝6:00ころ目が醒めたらもうテントの中は蒸していた。 外は明るい。朝日に照らされてテントについた水滴が光っているのが 内側から見えた。 まだ早いのでもう一眠りしようと思ったがテントの中には 眠ることのできない8つの理由が渦巻いていてもう眠れない。 外に出た。 雨は上がっていたが、風もなくなっていた。 波はあいかわらず高い。今日はレースなんだが、このまま風上がらずの 波高しでは出艇すらできない。 雨漏りによって少し濡れた寝袋を干しつつ、これからなにをしようか考えた。 部室に行ってもう一眠りすることにした。 テントに比べりゃ部室は天国である。 |