二代目唐草最後の日
8時15分艇着。
今晩がリベッチオの最後の晩だ。明日は新しいオーナーに引き渡す。 天気予報によれば、昼くらいから雨が降り始め、夜には本降りとなる。その後雨は弱まるが、明日の朝まで降り続ける。 明日の朝10時にはすべての私物を下ろして、フネを引き渡せる状態にしておかなくてはならない。 明日の早朝に天気がよければいいのだが、もしかしたら今日の雨の降り出しが遅れて、明日の朝上がるのも遅くなるかもしれない。そうなると、今日中に下ろさなくてはならない。 天気予報どおりなら、明日の早朝にやってきて荷物を下ろしてもいいのだが、今朝はいつ雨が降り出してもおかしくない空模様だ。この感じではいつ下ろせるかわからない。とにかく安良里に行って現地で判断するしかない。
というわけで、朝6時にウチを出発した。 早く行けば雨が降る前に荷物を下ろせるかと思ったが、8時に安良里に着いたときにはもう小雨だった。天気予報、微妙にはずれ。 荷物は、明日明るくなったら下ろすことにして、今晩泊まる用意をしてフネに入る。 これからでも雨が上がれば荷物下ろしを開始するつもりだが、このぶんでは雨が強くなることはあっても、上がることはあるまい。しかたがない。今日の作業はあきらめざるを得ない。 降り始めが早かったので、上がるのも早いのを期待する。とにかく私物を積んだままでは引き渡せない。私が買ったときと同じ状態にして引き渡すつもりだ。 前回までにだいぶ荷物を下ろしたので、減ってはきているが、まだけっこう残っている。
そんなわけで、今日は朝からフネに閉じ込もる。もしかしたら万が一雨が上がるかもしれない。 とりあえずはなにもすることがない。 今晩飲もうと思ってもってきた特別な日用のシャトーマルゴーをあけることにする。 美味いワインも栓を抜いた直後は固い味だ。 デキャンタしたいが、持ってきてないので、コッフェルの鍋に空けてワインを開かせることにする。雰囲気よりも実用だ。 やはりデキャンタすると美味くなる。薄皮がむけて艶やかな中身が現れた。美味い。 女房と乾杯する。このフネとは明日でお別れだ。 いろいろなことをこのフネから学んだ。辛いこともあったと思うが、楽しかったことしか覚えていない。 丹誠こめてメンテナンスしたフネは信頼できるということをこのフネが教えてくれた。次のフネも丹誠こめてメンテナンスに精を出したいと思う。フネが信頼できれば、どこへでも行ける。フネが連れてってくれるのだ。 ここまでつきあってくれた女房にも心から感謝している。彼女のおかげでフネを持つことができたし、彼女のおかげでここまでやってこれた。 フネを乗り換える理由の一つが、「もうひと部屋あるといいね」、という彼女の希望をかなえたいというのがある。確かに2人で生活するとこのワンルームタイプのキャビンではだいぶ散らかる。船内にもう一部屋セティーバースひとつぶんくらいの収納があると確かにだいぶよくなるとは思う。でも私は小型艇が好きだ。こじんまりとしたキャビンが好きだ。 そんなこんなといろいろあって、次のフネは今のフネよりも古いが、もう少し大きいものになる。 船外機の小型のヨット(船形はモダンクラッシックなのがいい)を粋に乗って船遊び、というのが私の理想だ。 理想の他に「夢」もある。40feetくらいのヨットで世界一周という「夢」だ。それがかなったら、その40feetのフネを売って、19feetくらいの小型艇に乗り換えて、ピクニックのようにデイセーリングと泊地の近所でランチタイムのアンカリングを楽しみたい。それが私の「夢」の続きだ。そういう小さなフネに泊まるときは、テント泊のように必要最小限のものだけ持ち込んで狭いフネを小粋に使いたい。
世界一周。それは日本を出て同じ方向に向かってどこまでも行くとやがて再び日本に帰って来るということだ。地球は丸い。理屈ではわかっている。でもそれを自分のカラダで体験してみたいのだ。地球が丸いというのを実際にカラダで実感してみたいのだ。 経済力と体力、心意気、この3つを私なりに揃えて行きたいと思う。とはいえ、この「夢」は大きい。かなり大きい。実現できるとも思えない。でももし本当に地球を一回りできたら素敵だ。 ディンギーでレースをやってた頃は、クルーザーの個人オーナーになれるとは思っていなかった。ましてや夫婦で航海を楽しむなんて実現できるとは思えなかったが、いまこうして実現している。 もしかしたら、あと10年後のこの航海日誌は世界一周の旅の途中を綴っているかもしれない。ま、無理だな。
雨は強くなったり、弱くなったりしながらずっと降っている。デッキを叩く雨音。雨のキャビンもいいものだ。妄想も膨らむというものだ。 午前中にはワインも空いてしまった。頃合いよく眠くもなってきたし、そのまま横になって昼寝をする。 夕方起きて、ウエットティッシュで顔を拭いてまた飲む。最近お気に入りの壱岐の焼酎「さるこう」のお湯割りを飲む。朝酒して昼寝して、夕方また飲むなんてまるで正月だ。 プロパンは4月にカラになってしまい、ボンベの充填可能期限も切れているので、そのままにしてある。こちらはもう使わないので、プロパンをどうするかは、次のオーナーの方の意向次第である。ギャレーをつぶして収納にして、火を使うのは、カセットコンロという人もいるし。 というわけで、お湯をわかすために(このフネのギャレーもほとんどお湯をわかす以外に使わなかったな)山用の小型ストーブを持ってきた。それで湯をわかしてお湯割りを作る。 暗くなってきたので、キャビンライトを点ける。 もうすでにワイン半分飲んでいるので、さるこうが美味いとはいえ、そんなに飲めるわけではない。薄いのを2杯ものめばもう充分だ。 少し早いが寝ることにする。5月なのに雨のせいか肌寒い。パジャマと寝袋で丁度いい気温だ。
明るくなって起きる。雨は上がった。
雨が上がってよかった。これを待っていたのだ。
早速荷物を下ろすために、フネを倉庫前の岸壁に回す。 このフネの最後の解纜(かいらん(ともづなを解くの意だが、艫綱だけではなく舳綱も解いてバースから出る))だ。 それにしても、カットラスベアリングを交換したので、すこぶる調子がいい。気になるティラーの振動がピタリと収まったのだ。ああ、こんなことならほんとにもっと早く変えておくんだった。 倉庫岸壁に舫い、荷物を下ろしてクルマに積み込む。今回はなにがなんでも全部積み込まなくてならない。荷物を下ろせるのは、今日で最後なのだ。
クルマの中はぎっしり満杯になったが、なんとか全部積み込めた。時間も天気も間にあった。よかった。ホントによかった。 最悪の最悪は雨のなか積み込んで、クルマの中までビショビショになることを覚悟していたが、天気が快復して本当によかったよかった。 積み込みを終えて、私物のないガランとしたキャビンを見回す。忘れ物がないか最終チェックだ。
10時半頃、高安さんが新しいオーナーと共に安良里に着いたという連絡があった。すべては間にあった。 テンダーで迎えに行く。 船内の必要備品と書類を点検してもらい、引き渡す。 倉庫岸壁に係留していた唐草の舫いが解かれ、我々を乗せずに出航していく。彼女((リベッチオ)今度はどんな名前になるのだろうか)の新しい字義通りの船出である。2006年5月14日(日)1100。
フネが出ていくのを灯台のところまで見送り、我々は係留バースの始末をする。これからしばらく空けておくので、舫い綱が海水につかないように、4個のウキがばらけないように、雑索とショックコードで整えておく。これが意外と力仕事だった。 それらを終えて、クルマを止めてある岸壁に戻る。ここ、ここにきて心に空白を感じる。もう私には自由に乗るフネがない。なにか喪失感のようなものを感じる。
大潮の干潮。岸壁が高い。そのせいか、テンダーから降りるときにあわや落水しそうになった。とっさに岸壁のはしごに飛び移った。その反動でテンダーが岸壁離れた。気がつくと足が少し濡れていた。女房がクルマからボートフックを持ってきて難なくテンダーを回収できた。風がなかったのがツいていた。 テンダーが岸壁から離れていくとき、すぐに飛び込んで泳いで追いつこう、という考えが頭をよぎったが、別なテンダーを使って取りに行ってもいいと思い直した。テンダーが全部出払っていても、ここは港である。無人の小舟を回収する方法はいくらでもある。
あれだけのシーマンシップを備えた野本謙作氏は港で亡くなっている。 無人で岸壁から離れてしまった「春一番II」を追って港に飛び込んで亡くなった。私はそのことを知っている。それが飛び込むのを思いとどまらせたのかもしれない。私は、野本謙作氏に助けられたのだ。
1200安良里発。温泉には寄らずに、最近お気に入りの熱函道路沿いの「みそラーメン」に寄っていく。
自分なりに紆余曲折(というよりも、あれよあれよという感じかもしれない)はあったのだが、結局リベッチオを手放すことにした。これを読んでいる人にとっては唐突に思うかもしれないが、自分としても思ったより早く売れてしまって多少めんくらったところはある。次期唐草は現在瀬戸内海の小豆島で修理とメンテナンス工事中である。 これからしばらくはフネのない週末を体験することになる。これまでのようにフネがあるけど乗らない週末ではなく、乗るフネのない週末である。
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