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南極に行くのに飛行機と船を乗り継いで、4日かかった。

旅は飛行機や船、列車に何時間乗ったかという時間の長さや、移動する距離の大きさによって報われるものではない。もちろんである。しかし遠い所へ移動するというのは、それだけでも得難い体験だと思う。南極は俺にとって最も遠い地点への旅だった。


2月4日

サーシャとブリッジで

朝起きてシャワーを浴びてブリッジ(艦橋)へ行く。毎朝の日課だ。この時間だとサーシャという航海士の当直になっている。サーシャは長身で人なつこい目をしたロシア人青年だ。サーシャというのは愛称で、本名はアレキサンダーという。アレキサンダーの愛称としてサーシャが適当かどうかは疑問があるが、ロシアの伝統なんだからしかたがない。

サーシャとのコミニケーションはお互いの外国語である英語を使って意思の疎通を行なう。サーシャも俺と同様あまり英語が得意ではないようだ。

今日はブリッジに入るとすぐにサーシャに肩を叩かれた。それから彼は右斜め前を指して

「アイスバーグ(iceberg)」

と言った。うまく聞き取れなかったが指さす方向を見て納得した。氷山だ。生まれて初めて氷山を見た。すこし遠かったがあきらかに巨大な氷山だ。それは灰色の空の下で水色に輝いていた。空と海と氷山のコントラストが強烈に目に焼きつき、俺の脳細胞は忘れられない景色として記憶した。

初めて見た氷山。遠くに見えたけど、とても感動した

昨日までのドレーク海峡の大揺れが多少揺れは収まってきている。

ドレーク海峡は南米最南端の岬、ケープホーンと南極半島の間、南緯55度付近から62度付近の暴風圏に横たわる海峡だ。険悪な荒海として有名なあの海峡だ。距離にして約970キロ。東京から旭川、東京から長崎の直線距離とだいたい同じくらいだ。

ブリッジ内の海図室へ行き、海図とGPSで船の位置を確認する。氷山を初めて見たのは南緯60度付近だということがわかった。南極が近づいている。明日には南極大陸を見ることができるだろう。

夕食前に南極大陸上陸の説明会があった。その中で強調されたのは、南極に物を捨てることはもちろん、南極にある物、例えば石などを持ってきてもいけない。排泄行為もいけない。人間が残していいのは足跡だけだということだった。


今回のツアーは、クオーク・エクスペディションというアメリカ合衆国の探検クルーズコンサルタント会社がロシアの耐氷船アラ・タラソーバ号による南極航海を企画して、スタッフをアラ・タラソーバに乗り込ませている。それを日本の旅行会社がまるごとチャーターした、という形になっている。だからお客は全て日本人だ。

アラ・タラソーバ号とわたし

アラ・タラソーバ号の船員及び客室乗務員、コック、ウエィター、ウェイトレスは全てロシア人で、クオーク・エクスペディション社の社員は全てアメリカ人だ。そして乗客と添乗員は日本人だ。そのせいで船の中は日米露親善航海のような雰囲気もある。

ガイドはアメリカ人4名と日本人2名が乗り込んでいる。このツアーではガイドと言わずに探検リーダーと呼んでいる。しかしながら探検というのはいささか、というより相当図々しいと思う。ツアーのネーミングは単なる南極クルーズで十分だと思う。


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