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2月6日

今日は南シェトランド諸島のキングジョージ島にあるチリとロシアの基地を訪問する。

キングジョージ島は基地銀座と呼ばれることがある。それほど各国の南極基地がある場所なのだ。ここはなんといっても南米大陸から近い。南米の南端を出てまず初めに出会う南極の陸地がこの南シェトランド諸島だ。つまりここは人間の住んでる土地から最も近い南極というわけだ。その南シェトランド諸島なかで、とりわけキングジョージ島に基地が集中している。チリ、アルゼンチン、イギリス、ロシア、ポーランド、アメリカ合衆国、イタリア、ブラジル、ウルグアイ、ペルー、韓国、中国といったところがこの島に基地を建設した。しかしそのうちのいくつかはすでに閉鎖されている。

我々が訪問を予定しているチリとロシアの基地はキングジョージ島のマックスウェル湾に面したフィルス半島にある。島のほぼ南端である。

マックスウェル湾沖にアラ・タラソーバを停泊させ、そこから例によってゾディアックで上陸する。

アラ・タラソーバから基地の建物が見える。ひさしぶりに見る人工の建築物である。オレンジ色の建物が目立って多い。

我々のグループはまずロシアの基地を訪問することになった。大勢なのでグループごとに訪問する場所をずらして訪問するのだ。ロシア基地の職員が案内してくれた。

ロシアの基地の名はベリングハウゼンという。ロシアの探検家ベリングハウゼン提督にちなんでつけられた名だ。

ロシア基地は高床式のコンテナ状の建物を連結して作られている。

基地の中に入りダイニングルームやラウンジ、娯楽室、通信室などを見せてもらった。ロシアの基地の印象はなんとなく全体に暗く、寒々としている。壁の色が暗くて明かりが少ない感じだ。そしてモノが少なくガランとしている。職員もほとんどみかけない。この基地はどんな活動をしているんだろうか。

次にお隣のチリの基地を訪問する。ほんとにお隣である。歩いて2分くらいだ。ここの基地には「星の村」という名もつけられている。もちろん本当はスペイン語で、である。この基地は村というだけあっていろいろな施設がある。気象観測施設や実験棟はもちろんのこと郵便局、病院、教会があり、ホテル(今はホテルとしては使われていない。ということは宿舎とよぶべきか)と銀行もあるそうだ。もちろん土産物屋もある。船内で預けておいた絵はがきはここの郵便局に投函されることになる。

基地の裏には飛行場もある。この飛行場はチリ空軍の施設だ。テレビで南極番組のロケをするときは、たいてい南米からC130輸送機でこの飛行場までくることが多いらしい。ドレーク海峡横断に船なら2日かかるが飛行機なら2時間くらいだそうだ。

そんなわけでチリの「星の村」は本当に村である。建造物が多い。道路も舗装こそされていないがちゃんとした道路だ。道の傍らには明るいオレンジ色に塗られた土木機械が無造作に止めてあった。人が住むには道路や電線が必要なのは当然なのだが、南極でブルドーザーやグレイダー等を見るとちょっとびっくりする。

星の村には土産物屋もある。基地のマークをデザインしたTシャツや帽子、マグカップ、ワッペンやステッカー等を売っていた。TシャツがUS$20くらいだった。観光客が来ると隊員の奥さん達が店番に入る。

どの国の基地にも観光客が訪れることができるようだが、昭和基地には観光目的では入れないそうだ。文部省がどうしたこうしたという理由らしい。でも昭和基地の絵はがきはある。越冬隊の隊員からもらったことがある。あれ?ほんとに昭和基地の絵はがきだったかな?記憶違いかもしれない。

波打ち際で様子をうかがうジェンツーペンギン

ふたつの基地の見学が終わって浜辺で迎えのゾディアックを待っていると、1羽のチンストラップペンギン(和名はヒゲペンギンというのだが、顔の下にある黒い線はヒゲというよりアゴヒモと言ったほうがぴったりくるので、このペンギンは英語の呼び名のチンストラップと呼ぶことにする)が我々のすぐそばに上陸してきた。沖では2羽のチンストラップがこちらを窺っている。上陸したほうの個体が鳴き声でなんか言っている。その声に沖の2羽が答えている。しばらくしたら沖の2羽も上陸してきた。それから3羽で我々を観察したあと海に飛び込んで沖へ帰っていった。なるほど南極だなあ。つくづくそう思う。

船内のダイニングルームで食事の様子

アラ・タラソーバに戻って昼食だ。もう昼の12時を回っている。船はアイチョウ島へ向かっている。午後4時くらいにアイチョウ島上陸の予定だ。ここはチンストラップとジェンツーペンギンのルッカリーがある。

アイチョウ島に着くまでで自室で本を読む。今回の南極行きに際して福生市の図書館から借りてきた南極関係の本が2冊ある。1冊は本多勝一の「アムンセンとスコット」、もう1冊がデイビッド・G・キャンベルの「南極が語る地球物語」だ。「南極が語る地球物語」は南極半島を中心にした博物学的な本なので今回の旅行ガイドにはもってこいの内容になっている。これで学習をしながらペンギンのルッカリーを訪れたり、歴史を学んだりした。今書いているこの旅行記はガイドから聞いた話とこの本からの知識が多い。

アイチョウ島のチンストラップペンギン

午後4時頃にアイチョウ島に上陸した。雨が降っている。小雨模様かと思うと急に雨足が強くなったり、という天気だ。ここもキングジョージ島と同じく南シェトランド諸島にある島だ。とても小さな島で長辺方向で4キロくらい、短辺方向は500メートルもないんじゃないかと思う。

ポーレット島やホープ湾のように石ころだらけの島ではなくて土の多い島だ。土じゃなくてグアノ(海鳥の糞の堆積)かもしれない。

お馴染のあの臭いに満たされている。

この時期の南極半島ではペンギンのクレイシ(託児所/幼稚園)は後半の段階になっているようだ。

クレイシというのはペンギンの雛が巣から離れてグループで集まっていることを言う。産毛につつまれた雛たちが体を寄せ合うようにしてじっとしている。電車の混雑に例えるなら文庫本が読める程度の混み具合に雛達は集まっている。このクレイシのメリットは大勢集まっているので雛達がお互いの体温で暖かい状態でいられるし、トウゾクカモメのような天敵からの攻撃を防ぎやすくなっている。このアイチョウ島のクレイシは雛がそれなりに集まってはいるがその数はすくない。これは巣立った雛が多いんだと思う。ガイドの佐藤さんも少ないなあと言っていた。

親鳥は餌を取って戻ってくると、クレイシから離れたところで鳴く。するとその声に反応した1羽の雛がクレイシから出てくる。この雛が実の子だ。親の声に反応したのだ。でもときどき2羽出てくることもある。声に反応した雛は親鳥めがけて走っていく。産毛に包まれた雛が全力疾走で、といってもよたよたしているが、親鳥のほうへ走っていく。そこで親鳥は待ちかまえて餌を与えるかというとそうではない。雛から逃げるように走り出すのだ。雛は遅れてはならじと追いかける。雛が立ち止まると親も立ち止まる。再び雛が親鳥に向かって走ってくると大急ぎで逃げ出す。適当に逃げ回ったあとで親鳥は自分の口を開けて下を向く。雛がその口のなかに頭を突っ込んで、半分消化した餌を吐戻してもらう。

餌を与えるのになぜこんな追い駆けっこを毎回するのか?エクササイズだという説がある。雛の筋肉を鍛えているんだそうだ。もうひとつの説としては複数の雛が追いかけてきたときに、親が逃げ続けて最後まで追ってきたほうが自分の雛だ、という説もある。しかし、雛が1羽しか追いかけてこなくても親は逃げるので、俺としてはエクササイズ説をとりたい。

ジェンツーペンギンの親子。何を会話しているんだろう

この島ではジェンツーペンギンとチンストラップペンギンが子育てしていた。2月のこんな時期にあまり成長できなかった雛はたぶんもう駄目だろう。ちゃんと巣立ちする前にトウゾクカモメの餌になってしまうかもしれない。

トウゾクカモメは嫌われ者だが、あれはあれでたいへんだと思う。トウゾクカモメは猛禽類ではないので、鋭くとがった嘴もなければ、足には強力な爪もない。ただのカモメだ。その体でハンティングをするのはたいへんなことだと思う。

この島のペンギン達はそれほど多くはない。雛が巣立ちして、親も出て行ったのだろうか。アデリーペンギンのように沸いてくるみたいにはいない。

ここでジェンツーペンギンの雛と親を多く見ることができた。ブラッシュテイルという種類の中ではジェンツーが俺は一番好きだ。ジェンツーの頭を飾るかんざしみたいな白い模様がいい。真っ黒のからだじゃなくて、ちょっと青みがかった色がいい。俺はジェンツーが好きだ。

雨が強くなってきたので早々に船に戻る。


この南極ツアーでとても健康的な生活を俺は送っている。毎日きちんと朝御飯を食べて、午前中に軽い運動(上陸)をして、昼御飯を食べる。食後は一休みしてから、再びかるい運動(上陸)をする。そして7時頃に夕食を食べる。日常的にスポーツをしていないときの俺は比較的小食のほうなので毎食の量は少ない。間食もしない。

夕食後は映画室で映画やドキュメンタリー番組のビデオを見るか、本を読む。船で知り合いになった人とバーで呑むこともある。そして夜の10時か11時には寝てしまう。夜といっても薄暗いだけだ。そして朝は早い。朝の6時頃には起きてシャワーを浴びる。理想的な生活だ。日本にいるときよりも100倍くらい健康な生活をしているような気がする。

私の船室。二人部屋

上陸のない日やドレーク海峡横断のように1日中船内にいるときは、船の揺れが激しければトラベルミン(酔い止め薬)を呑んで寝てしまうし、寝なければ景色を眺めて過ごす。景色を眺めるのに飽きると自室で本を読む。贅沢な時間が流れていくのを実感する。当然だが自室の窓の外も南極の景色だ。

自分でも何冊か本を持っていったけど、船には図書室があるので、読む本には不自由しなかった。アラ・タラソーバ号にはロシアの船にもかかわらず日本語の本があるのだ。旅行代理店が日本の本を大量に持ってきてくれたからだ。ありがたい。日頃読む機会の少ないタイプの本を読むことができた。多いときは1日に2冊以上読んでいた。

船の中の生活は暇だし、酒も免税で安いので、昼間から酒を飲んでしまうかというとそうではない。せっかく南極にきてるんだから、深酒して二日酔いになるのは厭だ。お酒は好きだが、量は極力控えていた。呑んでもワイン2杯とビールのレギュラー缶2本どまりにしておいた。

そんな生活だったの毎日すこぶる体調がよかった。なによりもいろんな意味でストレスというものがなかった。言葉、食事、対人、仕事、金銭、寝つき、すべて順調だった。


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